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tominagayuki Music
Gadget2 or ambient piano

表現論のようなこと

表現論のようなこと

例えば、ツイキャスの音楽枠において、歌、ギター、ピアノ、DJなどを配信している人たちがいる。オリジナルのテクノ、さらに、アンビエントをやっている人は少ない。どうやら、ツイキャスにはツイキャスの何かがあって、そこでの向き不向きがあるのではないだろうか? それは、ツイキャスのリスナーの求める方向性との関係として。
私は、ずっと、自分を捨てて表現することを重要視してきた。そして、受け手の反応を気にしてきた。しかし、今、テクノ制作において、私は、自分がいいと思えるものを作ることを重要視している。自分の「いい」の中にある受け手にとっても「いい」であろう要素を残しつつ、多くの受け手にとって「よくない」であろう要素を取り除くことを意識しつつ。
例えば、暗すぎる要素は入れない、とか、単調な展開にしない、とか、出来るだけシンプルな音作りにする、とか。

私は写真を撮っている。インスタグラムにアップしている。その中から、年に数回、写真屋でプリントしてもらって、自分の部屋の額に入れて飾っている。
私はインスタグラムであまり「いいね」が入らない。そういう努力もしていない。それでいいのではないか、とすら思っている。最終的には額に入れて、飾って、それが「作品」になっていればいい。
テクノはここまで極端ではないけれど、私にとって、アンビエントとは、まさにこのような感じだ。アンビエントには、作り手の感情が入らない方がいい。私のピアノソロにはどうしても、弾き手の感情のようなものが入ってしまう。それはそれでいいのだけど、シンセとドラムマシンをピアノに加えることで、より、機械的な「模様のような」音楽が可能になるのではないだろうか?

ツイキャスでライブ配信して、そこからYouTubeにもアップロードする。私にとって、額装とは、YouTubeにアップロードすることで、ツイキャスのライブ配信ではないだろう。ツイキャスはインスタグラムのようなもので。

ツイキャスのライブ配信で意識しているのは、ラジオで、BGMとして聞いてもらえればいい。正直、リスナーの人たちとのコミュニケーションツールとしてはあまり考えていなくて、ただ、ライブを配信することは、打ち込みでテクノを制作してネットにアップロードするのとは違うことだという感じは受けている。

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